2013年12月5日木曜日、その日僕は仕事で大きなミスを犯してしまい、社長から叱責を受けます。 その日僕は「もうどうやって生きたら幸せになれるかわからない。どうやってもこの辛い日々から抜け出せない、何をどうする気力もわかない。こんな日々からは逃げ出してしまおう、死んで全部終わりにしよう」と考えて、死を決断します。終業まで平静を装い、薬局を何件もまわり市販の睡眠薬を大量に購入しました。スーパーに言って洗濯用の丈夫なロープと、ウィスキーのボトルも購入しました。
長めの買い物を済ませていつもより遅めに帰宅すると、不意に死への決意が揺らぎます。
「このままではさすがにまずい、自分に殺される」という危機感を覚えます。そしてWebコミックを読んで知っていた「ゆうメンタルクリニック上野院」に、自分の状況と明日にでも診察を受けたい旨をHP上のメッセージフォームを使って連絡します。そのメッセージの控えがメールボックスに残っていました。
(お送りいただいたメッセージ内容)

お名前 (岸)

お電話番号 080…

お悩みの内容 
日頃から仕事、日常生活に虚無感を感じていて、今日仕事で失敗してふと「今晩死のう」という考えが浮かび、終業後にロープ、導眠剤、お酒を買い揃えて帰宅したところで少し冷静になり、メール致しました。急ですが、明日の午前中にお話しを聞いて頂けると幸いです。

予約日2013/12/06

予約時間11:00

受診 初診

受診院 上野院

翌日12月6日金曜日は結局いつも通り定時に出勤して定時まで仕事をこなし、クリニックには18:30に行くことにしました。仕事を休まないことにしたのは、自分の異変を周囲には絶対悟られたくない、という気持ちがあったためです。

心療内科には初めて来る、というわけではなかったのですが自分がかかるのは初めてでした。
担当の先生は女性で、僕の話を丁寧に聞き、「いきなり死ななくたって、仕事をやめるとか休職するという選択肢もあるんだから、自分を追い詰めないで」という励ましの言葉を貰いました。励ましの言葉を素直に受け入れることはできませんでしたが、自分の心境を人に伝え吐き出すことで気が楽になり、今すぐ自殺しようという気持ちは薄れました。
初心ということで血液検査とアンケート式の心理検査を受けました。結果はしばらく経ってから受けったのですが、血液検査は中性脂肪が高めでそれ以外は正常。心理検査はCES-D(セスデー)というもので、60点満点中38点。中等度抑うつ状態という、5段階中悪い方から2番目の状態でした。

12月7日土曜日はかねてからカードの大会に出る予定だったので何事もなかったように遊び、大会後は友人と飲みました。12月8日日曜日は確かダラダラと家で過ごしたと思います。

2013年12月9日月曜日、木曜日の仕事のミスの件で今度は直属の部長から叱責を受けます。この件がかなり問題視され、社長と部長が話し合ったそうです。
木曜日に感じた強烈な「逃げたい、死にたい」という気持ちが蘇ってきます。追って、「あの気持ちは忘れて平穏に生きていこうとしたけど、やっぱりダメだった」というさらなる無力感も加わります。

「今晩こそ死のう」
そう固く誓いました。

その日は午後に別の上司と客先に年末挨拶回りをして、夜はその年いっぱいで引退するお客さんの接待をすることにしました。
自分の異変を周囲には絶対悟られたくない、誰にも止められずにふっとこの世から消えよう。そう考えていたため、客にはもちろん上司にも同僚にも普段通りの態度でいることに努めました。
お酒の席でも、お客さん花道を邪魔しないよう平静に平静に、場を盛り上げ楽しませることを心掛けました。

接待を終えて22:00頃に帰宅。まずは睡眠薬の包装をばらして別の薬瓶に移します。数はおおよそ100錠弱だったか。次に洗濯ロープを取り出して邪魔な洗濯バサミを外していき、室内に吊り輪をセッティングします。ウィスキーを適当な量飲み、薬を一気に飲みます。すぐに眠くはなりません。この間に吊り輪に首を通しましたが、本能的にでしょうか、踏み台から足が離れません。無意識に手を首とロープの間に入れようとしてしまいます。

首つりはできそうにないので、諦めて別の方法を選択します。枕を水浸しにして顔をうずめて意識を失い窒息する、という方法です。枕に水をいっぱい染み込ませ、ベッドにも水を撒き、枕に顔をつけるようにしてうつ伏せに寝転がります。薬が効いてきたのか、そこで僕の意識が途絶えます。

2013年12月10日火曜日、出勤しない僕を心配した上司が、実家に連絡を取ります。先輩の一人が僕のマンションに様子を見に行くという話でしたが、結局はマンションから職場の近かった父が来てくれることになりました。父がマンションの管理人の立会で鍵を開けると、水浸しのベッドの上で動かない僕がいました。血の気が引いて真っ青になっており、意識は混濁していたそうです。僕は救急車で市内の総合病院に搬送されました。散乱していた薬の包装から睡眠薬を大量服用したことがわかったようで、病院で胃洗浄を受けた後点滴を刺されベッドに寝かされていました。ベッドの上で朦朧としながらも何とか意識が戻り、呂律があまり回らない状態で何をしたのかという質問に答え、前の週に心療内科を受診していたことも話したそうです。

総合病院の先生からは、その心療内科にも行くよう指示されました。立って歩けるようになったところで、父の車に乗りクリニックに向かいます。クリニックの担当医は初診とは別の若い男性の先生でした。父が状況を説明した後先生と二人きりで話をしたようですが、まだ朦朧としていて内容はあまり覚えていません。一つだけ覚えていたのは、

「次やったら入院ですよ」

という言葉でした。
困ったなと感じたことがありました。
一つは、次に自殺をして失敗したら社会復帰は難しいから、もう不確実な方法で失敗することは許されないな、ということ。
もう一つは、さしあたって明日以降、自殺する以外にどう過ごせばいいか、ということでした。

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岸

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