「生きてりゃなんとかなる」と「気楽」
2014年4月28日 エッセイ コメント (4)エピソードの途中ですが、ちょいちょい閑話休題していきます。
まだ開設して半日ちょいの生まれたてブログですが、早速4人もの方から相互リンクを頂き、Diary Noteのトップページにも載るようになり、徐々に人様の目に触れるようになってきました。
「生きてりゃなんとかなる」というのは、最初のエントリで書いた通り。
カウンセリングの中でいじめにあっていた小学生の僕に今の僕がかける言葉として、出てきた(言わされた!?)フレーズです。
このフレーズで検索してみると、実はもののけ姫の名台詞の一つだったんですね。何度か見たけど全然記憶になかった、しかしさすがジブリアニメ。
同じタイトルのブログも探せばちょいちょい出てくるけど、内容はここが断トツで暗かったw
けどそれも納得。
今までのエピソードは「生きてりゃなんとかなる」とは正反対の「生きていてもどうにもならない」状態だった自分を書いてきたわけですから。
改めて読み返してみると、救いの手は何度も差し伸べられて来ましたが僕はそれをことごとく拒み続けていますね。「生きていてもどうにもならない」というのが大前提になるくらい強く思い込んでいて、人の好意に触れても「そんなのどうせ無駄だ、自分は助からない」と突っぱねていたのでしょうね。
思い込みっていうのは本当に怖いです。思い込むことで、それが実現するような状況を引き寄せてしまうのですから。
何故そんな思い込みをするようになったのか、というのはカウンセリング体験のエピソードの中で明かして行きたいと思います。
今ではこの「生きてりゃなんとかなる」というフレーズが好きになりました。
カウンセラーさんは「部屋に書いて貼っておくといいですよ」と言われたけどちょっと気恥ずかしいので(←また人のアドバイスを素直に聞かないクセです)、代わりにブログを立ち上げてそのタイトルとすることにしました。
もう一つ、このブログのテーマとしたいのが「気楽」。
これも今までの自分とは対極にある言葉です。僕は自分のことが大嫌いで無価値な存在だと思っていて、そのクセ人から非難され傷つくことを恐れて自分を頑なに守り続ける、矛盾した心の持ち主です。自分に対しては嫌悪感を持ち続け、人に対しては顔色を伺い嫌われないようにし続ける。心の在り様は常に「緊張」「不安」「心配」で、さらに疲れてくると全てに嫌気がさして「無気力」「自暴自棄」になってきます。
そんな状態を脱して「気楽」に生きられるようになることが、今後の目標です。
別に自分のことを全肯定できなくてもいいし、嫌いなところがあってもいいし、自信なんてなくてもいい。ただ自分のダメなところも自分と割り切って、必要以上には悩まず「気楽」にありたい。
自信という言葉にしようか迷ったけど、この言葉はどうも苦手みたいで。○○には自信がある、みたいな限定的な使い方ならいいけど、自分に自信満々な人はあまり得意じゃない、というか自分はなれない。
だから自信じゃなくて「気楽」。
上手くいかないことがあっても自分を責めずに「まあいっか」「なるようになるさ」と常に「気楽」に構えていたい。
このブログも長く続けるかもしれないし、すぐ飽きちゃうかもしれないけど、元々思いつきで始めたもんだし続けるも止めるも自由自在、気楽に気楽にいきましょうか。
まだ開設して半日ちょいの生まれたてブログですが、早速4人もの方から相互リンクを頂き、Diary Noteのトップページにも載るようになり、徐々に人様の目に触れるようになってきました。
「生きてりゃなんとかなる」というのは、最初のエントリで書いた通り。
カウンセリングの中でいじめにあっていた小学生の僕に今の僕がかける言葉として、出てきた(言わされた!?)フレーズです。
このフレーズで検索してみると、実はもののけ姫の名台詞の一つだったんですね。何度か見たけど全然記憶になかった、しかしさすがジブリアニメ。
同じタイトルのブログも探せばちょいちょい出てくるけど、内容はここが断トツで暗かったw
けどそれも納得。
今までのエピソードは「生きてりゃなんとかなる」とは正反対の「生きていてもどうにもならない」状態だった自分を書いてきたわけですから。
改めて読み返してみると、救いの手は何度も差し伸べられて来ましたが僕はそれをことごとく拒み続けていますね。「生きていてもどうにもならない」というのが大前提になるくらい強く思い込んでいて、人の好意に触れても「そんなのどうせ無駄だ、自分は助からない」と突っぱねていたのでしょうね。
思い込みっていうのは本当に怖いです。思い込むことで、それが実現するような状況を引き寄せてしまうのですから。
何故そんな思い込みをするようになったのか、というのはカウンセリング体験のエピソードの中で明かして行きたいと思います。
今ではこの「生きてりゃなんとかなる」というフレーズが好きになりました。
カウンセラーさんは「部屋に書いて貼っておくといいですよ」と言われたけどちょっと気恥ずかしいので(←また人のアドバイスを素直に聞かないクセです)、代わりにブログを立ち上げてそのタイトルとすることにしました。
もう一つ、このブログのテーマとしたいのが「気楽」。
これも今までの自分とは対極にある言葉です。僕は自分のことが大嫌いで無価値な存在だと思っていて、そのクセ人から非難され傷つくことを恐れて自分を頑なに守り続ける、矛盾した心の持ち主です。自分に対しては嫌悪感を持ち続け、人に対しては顔色を伺い嫌われないようにし続ける。心の在り様は常に「緊張」「不安」「心配」で、さらに疲れてくると全てに嫌気がさして「無気力」「自暴自棄」になってきます。
そんな状態を脱して「気楽」に生きられるようになることが、今後の目標です。
別に自分のことを全肯定できなくてもいいし、嫌いなところがあってもいいし、自信なんてなくてもいい。ただ自分のダメなところも自分と割り切って、必要以上には悩まず「気楽」にありたい。
自信という言葉にしようか迷ったけど、この言葉はどうも苦手みたいで。○○には自信がある、みたいな限定的な使い方ならいいけど、自分に自信満々な人はあまり得意じゃない、というか自分はなれない。
だから自信じゃなくて「気楽」。
上手くいかないことがあっても自分を責めずに「まあいっか」「なるようになるさ」と常に「気楽」に構えていたい。
このブログも長く続けるかもしれないし、すぐ飽きちゃうかもしれないけど、元々思いつきで始めたもんだし続けるも止めるも自由自在、気楽に気楽にいきましょうか。
自分殺人未遂事件の後始末
2014年4月28日 エッセイ日曜も終わって月曜未明になりましたが、続きを書いていきます。
寝なきゃ「いけない」という気持ちもあるけど、書き「たい」から書きます。
「しなきゃいけないこと」をする、「しなきゃと思って」する、よりも、「したいこと」をする、「したいと思って」する。
これは僕のカウンセリング体験と心屋氏の著書から学んだ、気楽に生きるためのヒントです。
この話はまたおいおい詳しく書いていきたいと思います。
さて、自殺に失敗して職場と親に助けられ病院に行き、少し途方にくれたわけです。
そこで僕が取ったのは、「影響を最小限に止めつつ現状復帰する」という行動でした。
病院に運ばれた翌日水曜日は、通常通り出勤しました。そして職場に対して、公にはあれは事故だったということになるようにしました。
「すみません、ご心配おかけしました。実は以前から眠りが浅くて睡眠薬を常用していましたが、月曜日はお酒が入っていることもあり服用量を間違え、薬が効きすぎてしまいました。これからはこういうことが起こらないよう、もっと注意します」
というような説明を、職場の隅々までして回りました。
え、それ本当?とは思われるかもしれないけど、僕がそういう事情だと言い切れば納得せざるを得ないだろう、と。
我ながらこの状況を乗り切るベストな対処法だと当時は思っていましたが、今冷静に考えれば異常ですよね。自殺するほどの精神状態なら、まず休むのがベストでしょう。
ここに至るまで、決して冷静ではないが驚くほど冷徹・冷血な思考と行動がいくつかありました。
まず自殺をするにあたり、「楽に死ぬためには何が必要か」を調べて薬・酒・ロープと入念に準備した冷血さ。自分が死ぬのではなく自分を殺すつもりで、この人殺しは手軽で楽な方法を選んで準備しました。
次に、当初の自殺方法が失敗したときに、とっさに他の自殺方法へと切り替えた冷血さ。この人殺しは、首を絞めるのに失敗すると口と鼻を塞いで窒息死させようと試みました。
そして、自分の安否を気遣い心配をかけた人たちを平気で欺き、自分の立場を守ろうとする冷血さ。人殺しに失敗すると、今度はそれがばれないように隠ぺい工作を行いました。
最近殺すという漢字を嫌って自死という言葉が使われることも多くなりましたが、僕の場合のこれは明確に殺意を持った自「殺」と表現するのが的確かと思います。
ただ結局、最後の隠ぺいも含めて三つの企ては全て失敗に終わるんですけどね。
出社して一通り言い訳をして回った僕は、努めて平静でいようとしました。けど無力感、無気力感、倦怠感がひどく、多分傍目で見ればゾンビのような状態で職場にいました。結構多くの人に「大丈夫?」と声をかけられた気がしますが「いえ大丈夫です大丈夫です」としか返さなかった記憶があります。
職場復帰した日に部長と面談になり「大丈夫か?休むか?」とも聞かれましたが、それにすらも「大丈夫です、休まないです」で通しました。このときの心境は、無理を押してでも仕事がしたい!などとは程遠く、ここで休んだら仕事続けられなくなる、そしたら社会からドロップアウトする、そしたらもう死ぬしかない、という、保身のために必死でした。
このときまでに部長は僕の家族から状況を聞いていて、社長を含めたお偉方と同じ部署の先輩は、僕が自殺未遂したというのを知っていたようです。部長とも社長とも個別に面談しましたが、自分からも死にたかった旨を吐きました。お二方とも自分が自殺のきっかけを作ってしまったんじゃないかと罪悪感を感じておられたようですが、失敗に対して常識的な注意と指導をしただけで、人を死にまで追いやるような酷い言葉・態度は全くありません。僕の反応が異常だったのです。このことには、お二方に対して今でも申し訳ないと思っています。
面談の後もその週の金曜日まで定時出勤、定時過ぎ退社を辛うじて続けていました。金曜日はたまたま本社全体(30人くらい)の飲み会だったので、迷った末出席することにしました。
年に一度の忘年会だし、出るからには楽しい雰囲気を邪魔しちゃあいけない。そう思った僕は、自殺した当日の接待と同じように、いつも通り面白おかしく酒の席を盛り上げようとしました。何だかんだで三次会までついて行ってしまったわけですけど、お酒があまり得意じゃない部長も二次会までは付き合ってくれて、僕を気遣う言葉をたくさんくれました。三次会ではいつもの飲み仲間の別の部署の酒好きなオジサマ方からも、励ましの言葉がたくさんありました。
けど僕はそれらの言葉を聞くふりをして、右から左にスルーし続けたわけです。
翌週の12月21日月曜日のお昼過ぎ、再び部長と面談になります。そこで部長から下った業務命令。
「今週いっぱい休め」
気遣いも励ましも休養も拒み続け、異常を否定して日常にしがみつき続けた僕でしたが、半強制的に日曜日までの少し長めの休暇を頂くことになりました。
寝なきゃ「いけない」という気持ちもあるけど、書き「たい」から書きます。
「しなきゃいけないこと」をする、「しなきゃと思って」する、よりも、「したいこと」をする、「したいと思って」する。
これは僕のカウンセリング体験と心屋氏の著書から学んだ、気楽に生きるためのヒントです。
この話はまたおいおい詳しく書いていきたいと思います。
さて、自殺に失敗して職場と親に助けられ病院に行き、少し途方にくれたわけです。
そこで僕が取ったのは、「影響を最小限に止めつつ現状復帰する」という行動でした。
病院に運ばれた翌日水曜日は、通常通り出勤しました。そして職場に対して、公にはあれは事故だったということになるようにしました。
「すみません、ご心配おかけしました。実は以前から眠りが浅くて睡眠薬を常用していましたが、月曜日はお酒が入っていることもあり服用量を間違え、薬が効きすぎてしまいました。これからはこういうことが起こらないよう、もっと注意します」
というような説明を、職場の隅々までして回りました。
え、それ本当?とは思われるかもしれないけど、僕がそういう事情だと言い切れば納得せざるを得ないだろう、と。
我ながらこの状況を乗り切るベストな対処法だと当時は思っていましたが、今冷静に考えれば異常ですよね。自殺するほどの精神状態なら、まず休むのがベストでしょう。
ここに至るまで、決して冷静ではないが驚くほど冷徹・冷血な思考と行動がいくつかありました。
まず自殺をするにあたり、「楽に死ぬためには何が必要か」を調べて薬・酒・ロープと入念に準備した冷血さ。自分が死ぬのではなく自分を殺すつもりで、この人殺しは手軽で楽な方法を選んで準備しました。
次に、当初の自殺方法が失敗したときに、とっさに他の自殺方法へと切り替えた冷血さ。この人殺しは、首を絞めるのに失敗すると口と鼻を塞いで窒息死させようと試みました。
そして、自分の安否を気遣い心配をかけた人たちを平気で欺き、自分の立場を守ろうとする冷血さ。人殺しに失敗すると、今度はそれがばれないように隠ぺい工作を行いました。
最近殺すという漢字を嫌って自死という言葉が使われることも多くなりましたが、僕の場合のこれは明確に殺意を持った自「殺」と表現するのが的確かと思います。
ただ結局、最後の隠ぺいも含めて三つの企ては全て失敗に終わるんですけどね。
出社して一通り言い訳をして回った僕は、努めて平静でいようとしました。けど無力感、無気力感、倦怠感がひどく、多分傍目で見ればゾンビのような状態で職場にいました。結構多くの人に「大丈夫?」と声をかけられた気がしますが「いえ大丈夫です大丈夫です」としか返さなかった記憶があります。
職場復帰した日に部長と面談になり「大丈夫か?休むか?」とも聞かれましたが、それにすらも「大丈夫です、休まないです」で通しました。このときの心境は、無理を押してでも仕事がしたい!などとは程遠く、ここで休んだら仕事続けられなくなる、そしたら社会からドロップアウトする、そしたらもう死ぬしかない、という、保身のために必死でした。
このときまでに部長は僕の家族から状況を聞いていて、社長を含めたお偉方と同じ部署の先輩は、僕が自殺未遂したというのを知っていたようです。部長とも社長とも個別に面談しましたが、自分からも死にたかった旨を吐きました。お二方とも自分が自殺のきっかけを作ってしまったんじゃないかと罪悪感を感じておられたようですが、失敗に対して常識的な注意と指導をしただけで、人を死にまで追いやるような酷い言葉・態度は全くありません。僕の反応が異常だったのです。このことには、お二方に対して今でも申し訳ないと思っています。
面談の後もその週の金曜日まで定時出勤、定時過ぎ退社を辛うじて続けていました。金曜日はたまたま本社全体(30人くらい)の飲み会だったので、迷った末出席することにしました。
年に一度の忘年会だし、出るからには楽しい雰囲気を邪魔しちゃあいけない。そう思った僕は、自殺した当日の接待と同じように、いつも通り面白おかしく酒の席を盛り上げようとしました。何だかんだで三次会までついて行ってしまったわけですけど、お酒があまり得意じゃない部長も二次会までは付き合ってくれて、僕を気遣う言葉をたくさんくれました。三次会ではいつもの飲み仲間の別の部署の酒好きなオジサマ方からも、励ましの言葉がたくさんありました。
けど僕はそれらの言葉を聞くふりをして、右から左にスルーし続けたわけです。
翌週の12月21日月曜日のお昼過ぎ、再び部長と面談になります。そこで部長から下った業務命令。
「今週いっぱい休め」
気遣いも励ましも休養も拒み続け、異常を否定して日常にしがみつき続けた僕でしたが、半強制的に日曜日までの少し長めの休暇を頂くことになりました。
2013年12月5日木曜日、その日僕は仕事で大きなミスを犯してしまい、社長から叱責を受けます。 その日僕は「もうどうやって生きたら幸せになれるかわからない。どうやってもこの辛い日々から抜け出せない、何をどうする気力もわかない。こんな日々からは逃げ出してしまおう、死んで全部終わりにしよう」と考えて、死を決断します。終業まで平静を装い、薬局を何件もまわり市販の睡眠薬を大量に購入しました。スーパーに言って洗濯用の丈夫なロープと、ウィスキーのボトルも購入しました。
長めの買い物を済ませていつもより遅めに帰宅すると、不意に死への決意が揺らぎます。
「このままではさすがにまずい、自分に殺される」という危機感を覚えます。そしてWebコミックを読んで知っていた「ゆうメンタルクリニック上野院」に、自分の状況と明日にでも診察を受けたい旨をHP上のメッセージフォームを使って連絡します。そのメッセージの控えがメールボックスに残っていました。
翌日12月6日金曜日は結局いつも通り定時に出勤して定時まで仕事をこなし、クリニックには18:30に行くことにしました。仕事を休まないことにしたのは、自分の異変を周囲には絶対悟られたくない、という気持ちがあったためです。
心療内科には初めて来る、というわけではなかったのですが自分がかかるのは初めてでした。
担当の先生は女性で、僕の話を丁寧に聞き、「いきなり死ななくたって、仕事をやめるとか休職するという選択肢もあるんだから、自分を追い詰めないで」という励ましの言葉を貰いました。励ましの言葉を素直に受け入れることはできませんでしたが、自分の心境を人に伝え吐き出すことで気が楽になり、今すぐ自殺しようという気持ちは薄れました。
初心ということで血液検査とアンケート式の心理検査を受けました。結果はしばらく経ってから受けったのですが、血液検査は中性脂肪が高めでそれ以外は正常。心理検査はCES-D(セスデー)というもので、60点満点中38点。中等度抑うつ状態という、5段階中悪い方から2番目の状態でした。
12月7日土曜日はかねてからカードの大会に出る予定だったので何事もなかったように遊び、大会後は友人と飲みました。12月8日日曜日は確かダラダラと家で過ごしたと思います。
2013年12月9日月曜日、木曜日の仕事のミスの件で今度は直属の部長から叱責を受けます。この件がかなり問題視され、社長と部長が話し合ったそうです。
木曜日に感じた強烈な「逃げたい、死にたい」という気持ちが蘇ってきます。追って、「あの気持ちは忘れて平穏に生きていこうとしたけど、やっぱりダメだった」というさらなる無力感も加わります。
「今晩こそ死のう」
そう固く誓いました。
その日は午後に別の上司と客先に年末挨拶回りをして、夜はその年いっぱいで引退するお客さんの接待をすることにしました。
自分の異変を周囲には絶対悟られたくない、誰にも止められずにふっとこの世から消えよう。そう考えていたため、客にはもちろん上司にも同僚にも普段通りの態度でいることに努めました。
お酒の席でも、お客さん花道を邪魔しないよう平静に平静に、場を盛り上げ楽しませることを心掛けました。
接待を終えて22:00頃に帰宅。まずは睡眠薬の包装をばらして別の薬瓶に移します。数はおおよそ100錠弱だったか。次に洗濯ロープを取り出して邪魔な洗濯バサミを外していき、室内に吊り輪をセッティングします。ウィスキーを適当な量飲み、薬を一気に飲みます。すぐに眠くはなりません。この間に吊り輪に首を通しましたが、本能的にでしょうか、踏み台から足が離れません。無意識に手を首とロープの間に入れようとしてしまいます。
首つりはできそうにないので、諦めて別の方法を選択します。枕を水浸しにして顔をうずめて意識を失い窒息する、という方法です。枕に水をいっぱい染み込ませ、ベッドにも水を撒き、枕に顔をつけるようにしてうつ伏せに寝転がります。薬が効いてきたのか、そこで僕の意識が途絶えます。
2013年12月10日火曜日、出勤しない僕を心配した上司が、実家に連絡を取ります。先輩の一人が僕のマンションに様子を見に行くという話でしたが、結局はマンションから職場の近かった父が来てくれることになりました。父がマンションの管理人の立会で鍵を開けると、水浸しのベッドの上で動かない僕がいました。血の気が引いて真っ青になっており、意識は混濁していたそうです。僕は救急車で市内の総合病院に搬送されました。散乱していた薬の包装から睡眠薬を大量服用したことがわかったようで、病院で胃洗浄を受けた後点滴を刺されベッドに寝かされていました。ベッドの上で朦朧としながらも何とか意識が戻り、呂律があまり回らない状態で何をしたのかという質問に答え、前の週に心療内科を受診していたことも話したそうです。
総合病院の先生からは、その心療内科にも行くよう指示されました。立って歩けるようになったところで、父の車に乗りクリニックに向かいます。クリニックの担当医は初診とは別の若い男性の先生でした。父が状況を説明した後先生と二人きりで話をしたようですが、まだ朦朧としていて内容はあまり覚えていません。一つだけ覚えていたのは、
「次やったら入院ですよ」
という言葉でした。
困ったなと感じたことがありました。
一つは、次に自殺をして失敗したら社会復帰は難しいから、もう不確実な方法で失敗することは許されないな、ということ。
もう一つは、さしあたって明日以降、自殺する以外にどう過ごせばいいか、ということでした。
長めの買い物を済ませていつもより遅めに帰宅すると、不意に死への決意が揺らぎます。
「このままではさすがにまずい、自分に殺される」という危機感を覚えます。そしてWebコミックを読んで知っていた「ゆうメンタルクリニック上野院」に、自分の状況と明日にでも診察を受けたい旨をHP上のメッセージフォームを使って連絡します。そのメッセージの控えがメールボックスに残っていました。
(お送りいただいたメッセージ内容)
お名前 (岸)
お電話番号 080…
お悩みの内容
日頃から仕事、日常生活に虚無感を感じていて、今日仕事で失敗してふと「今晩死のう」という考えが浮かび、終業後にロープ、導眠剤、お酒を買い揃えて帰宅したところで少し冷静になり、メール致しました。急ですが、明日の午前中にお話しを聞いて頂けると幸いです。
予約日2013/12/06
予約時間11:00
受診 初診
受診院 上野院
翌日12月6日金曜日は結局いつも通り定時に出勤して定時まで仕事をこなし、クリニックには18:30に行くことにしました。仕事を休まないことにしたのは、自分の異変を周囲には絶対悟られたくない、という気持ちがあったためです。
心療内科には初めて来る、というわけではなかったのですが自分がかかるのは初めてでした。
担当の先生は女性で、僕の話を丁寧に聞き、「いきなり死ななくたって、仕事をやめるとか休職するという選択肢もあるんだから、自分を追い詰めないで」という励ましの言葉を貰いました。励ましの言葉を素直に受け入れることはできませんでしたが、自分の心境を人に伝え吐き出すことで気が楽になり、今すぐ自殺しようという気持ちは薄れました。
初心ということで血液検査とアンケート式の心理検査を受けました。結果はしばらく経ってから受けったのですが、血液検査は中性脂肪が高めでそれ以外は正常。心理検査はCES-D(セスデー)というもので、60点満点中38点。中等度抑うつ状態という、5段階中悪い方から2番目の状態でした。
12月7日土曜日はかねてからカードの大会に出る予定だったので何事もなかったように遊び、大会後は友人と飲みました。12月8日日曜日は確かダラダラと家で過ごしたと思います。
2013年12月9日月曜日、木曜日の仕事のミスの件で今度は直属の部長から叱責を受けます。この件がかなり問題視され、社長と部長が話し合ったそうです。
木曜日に感じた強烈な「逃げたい、死にたい」という気持ちが蘇ってきます。追って、「あの気持ちは忘れて平穏に生きていこうとしたけど、やっぱりダメだった」というさらなる無力感も加わります。
「今晩こそ死のう」
そう固く誓いました。
その日は午後に別の上司と客先に年末挨拶回りをして、夜はその年いっぱいで引退するお客さんの接待をすることにしました。
自分の異変を周囲には絶対悟られたくない、誰にも止められずにふっとこの世から消えよう。そう考えていたため、客にはもちろん上司にも同僚にも普段通りの態度でいることに努めました。
お酒の席でも、お客さん花道を邪魔しないよう平静に平静に、場を盛り上げ楽しませることを心掛けました。
接待を終えて22:00頃に帰宅。まずは睡眠薬の包装をばらして別の薬瓶に移します。数はおおよそ100錠弱だったか。次に洗濯ロープを取り出して邪魔な洗濯バサミを外していき、室内に吊り輪をセッティングします。ウィスキーを適当な量飲み、薬を一気に飲みます。すぐに眠くはなりません。この間に吊り輪に首を通しましたが、本能的にでしょうか、踏み台から足が離れません。無意識に手を首とロープの間に入れようとしてしまいます。
首つりはできそうにないので、諦めて別の方法を選択します。枕を水浸しにして顔をうずめて意識を失い窒息する、という方法です。枕に水をいっぱい染み込ませ、ベッドにも水を撒き、枕に顔をつけるようにしてうつ伏せに寝転がります。薬が効いてきたのか、そこで僕の意識が途絶えます。
2013年12月10日火曜日、出勤しない僕を心配した上司が、実家に連絡を取ります。先輩の一人が僕のマンションに様子を見に行くという話でしたが、結局はマンションから職場の近かった父が来てくれることになりました。父がマンションの管理人の立会で鍵を開けると、水浸しのベッドの上で動かない僕がいました。血の気が引いて真っ青になっており、意識は混濁していたそうです。僕は救急車で市内の総合病院に搬送されました。散乱していた薬の包装から睡眠薬を大量服用したことがわかったようで、病院で胃洗浄を受けた後点滴を刺されベッドに寝かされていました。ベッドの上で朦朧としながらも何とか意識が戻り、呂律があまり回らない状態で何をしたのかという質問に答え、前の週に心療内科を受診していたことも話したそうです。
総合病院の先生からは、その心療内科にも行くよう指示されました。立って歩けるようになったところで、父の車に乗りクリニックに向かいます。クリニックの担当医は初診とは別の若い男性の先生でした。父が状況を説明した後先生と二人きりで話をしたようですが、まだ朦朧としていて内容はあまり覚えていません。一つだけ覚えていたのは、
「次やったら入院ですよ」
という言葉でした。
困ったなと感じたことがありました。
一つは、次に自殺をして失敗したら社会復帰は難しいから、もう不確実な方法で失敗することは許されないな、ということ。
もう一つは、さしあたって明日以降、自殺する以外にどう過ごせばいいか、ということでした。
生きてりゃなんとかなる、のご挨拶
2014年4月27日 エッセイ初めまして、岸と申します。
僕は神奈川在住、アラサーのサラリーマンです。
趣味はカードゲーム、アニメ、いわゆるオタクです。
営業をやっていて、人と話すのは得意な方です。
愛想と人当りはいい自信があります。
ルックスは残念です。
顔は下の中くらいです。
スポーツは苦手で昔はほっそりしていましたが、最近はちょっとお腹が出てきちゃいました。
趣味を通じて友達はそこそこいて遊び相手には困らないし、職場の人たちとも飲んだりカラオケ行ったり仲良くやってます。
だけど異性にはモテなくて、彼女はいたことはありますが女性経験は少ないです。
そんな僕ですが、現在心療内科に通い、月2回の診察と精神安定剤と抗不安薬の処方、月1~2回の臨床心理士のカウンセリングを受けています。
昨年末に、意図的に睡眠薬を大量服用して自殺未遂をしました。
月並みに言えば人生に絶望して、どうしていいか何もかもわからなくなって、生きることを放棄しようとしました。
ブログのタイトルは、先日のカウンセリングにて幼少期の辛い体験について先生に打ち明けた後、「そのときの自分に今の自分が言葉をかけるなら、何て言いますか」と質問されて出てきた言葉です。
「生きてりゃなんとかなる」、こんな無責任な言葉は無い。何ともならないから苦しくて辛くて助けて欲しいのに、こんな突き放した言葉なんて酷い。
この手の励ましの言葉に対して、僕はそう感じていたはずでした。
それがどうして、あろうことか自分の口から出てきたんだろうか。
自分が20数年生きてきて人生に絶望して自殺未遂をして、そこから「生きてりゃなんとかなる」なんて言葉が出てくるようになるまで、そして今後自分がどうなっていくのか。
自分自身の経験やその時々の思考を、客観的、時に主観的な視点で綴って行こうと思います。
このブログの目的は二つあります。
第一には、自分の考えを文章により可視化して、より客観的に見るためです。
カウンセリングの目的は自己理解と自己洞察と言われています。
それと同じことがブログを書くことでもできたらいいな、と思ってます。
これは完全に自分のため。
第二には、自分の経験、思考、自己理解と自己洞察を深める過程を公開することで、願わくばどこかの誰かの参考にしてもらうためです。生きづらさを抱えながら何とか日々を送っている人、生きづらさに押し潰されそうになっている人、そんな人たちの目に止まり、自分というサンプルが何らかの糧となってくれればと考えています。
自分のためにしたことが人のためにもなる、そんなハッピーなブログになれたらいいなと思いつつ、まずは「死にたい自分」のことを淡々と語っていこうと思います。
「拙筆でお目汚しかと思いますが」なんていうエクスキューズはしません。
あくまで自分のために始めることですから、人のためになってもならなくても構わないし、さらに言えば自分のためになってもならなくても構わない。そんなスタンスで行きます。
僕は神奈川在住、アラサーのサラリーマンです。
趣味はカードゲーム、アニメ、いわゆるオタクです。
営業をやっていて、人と話すのは得意な方です。
愛想と人当りはいい自信があります。
ルックスは残念です。
顔は下の中くらいです。
スポーツは苦手で昔はほっそりしていましたが、最近はちょっとお腹が出てきちゃいました。
趣味を通じて友達はそこそこいて遊び相手には困らないし、職場の人たちとも飲んだりカラオケ行ったり仲良くやってます。
だけど異性にはモテなくて、彼女はいたことはありますが女性経験は少ないです。
そんな僕ですが、現在心療内科に通い、月2回の診察と精神安定剤と抗不安薬の処方、月1~2回の臨床心理士のカウンセリングを受けています。
昨年末に、意図的に睡眠薬を大量服用して自殺未遂をしました。
月並みに言えば人生に絶望して、どうしていいか何もかもわからなくなって、生きることを放棄しようとしました。
ブログのタイトルは、先日のカウンセリングにて幼少期の辛い体験について先生に打ち明けた後、「そのときの自分に今の自分が言葉をかけるなら、何て言いますか」と質問されて出てきた言葉です。
「生きてりゃなんとかなる」、こんな無責任な言葉は無い。何ともならないから苦しくて辛くて助けて欲しいのに、こんな突き放した言葉なんて酷い。
この手の励ましの言葉に対して、僕はそう感じていたはずでした。
それがどうして、あろうことか自分の口から出てきたんだろうか。
自分が20数年生きてきて人生に絶望して自殺未遂をして、そこから「生きてりゃなんとかなる」なんて言葉が出てくるようになるまで、そして今後自分がどうなっていくのか。
自分自身の経験やその時々の思考を、客観的、時に主観的な視点で綴って行こうと思います。
このブログの目的は二つあります。
第一には、自分の考えを文章により可視化して、より客観的に見るためです。
カウンセリングの目的は自己理解と自己洞察と言われています。
それと同じことがブログを書くことでもできたらいいな、と思ってます。
これは完全に自分のため。
第二には、自分の経験、思考、自己理解と自己洞察を深める過程を公開することで、願わくばどこかの誰かの参考にしてもらうためです。生きづらさを抱えながら何とか日々を送っている人、生きづらさに押し潰されそうになっている人、そんな人たちの目に止まり、自分というサンプルが何らかの糧となってくれればと考えています。
自分のためにしたことが人のためにもなる、そんなハッピーなブログになれたらいいなと思いつつ、まずは「死にたい自分」のことを淡々と語っていこうと思います。
「拙筆でお目汚しかと思いますが」なんていうエクスキューズはしません。
あくまで自分のために始めることですから、人のためになってもならなくても構わないし、さらに言えば自分のためになってもならなくても構わない。そんなスタンスで行きます。